`池岸での対話`


2017年4月25日



いつものように、池の表面を眺めながら、

自分との対話を、水面のパターンが流れ変化するように、

また自分の感情や思考の流れのまま、

時を過ごしてみる。

`瞼の狭間より`


2017年4月26日



陽の光が柔らかいある日、

芝生に寝転がりながら、

瞼の狭間から、陽の暖かさを

感じながら、ただただ、

いつでも守られていると

感じることができている。

`決まり文句`


2017年8月6日



言葉を通して、私たちの中には、

言葉以上の何かが存在している。

テレパシーといえばよいのか、

それとも、洞察力といえばよいのか。

話している相手側が次に何を言いそうか、

予想が出来たりした時、

人は繋がっているものなんだな、

と感じられたりする。

`内側からの声`


2017年6月6日



私たちは、本当は知っている、ということがある。

日々の忙しさに埋もれがちで、忘れがちだけれども。

いつ、どうやって、自分自身に耳を傾けたらよいのか、

普段は隠れてしまっている小さな自分自身の声が、

話しかけてくる時。

`方向性`


2017年6月6日



どこへ自分自身が向かおうとしているのか、

どうやって向かおうとしているのか.

なぜ、そこへ向かおうとしているのか、

理屈ではなく、説明もできないのだけれども、

それでも、自分自身の内側から、

素朴に、`YES`という声が

私を突き動かす。

`鍵穴を通り抜ける時`


2017年6月16日



何かが私たちを鷲掴みする。

それは、`気づき`と呼べるものかもしれないし、

自分の枠組みの境目、自分自身が`居心地がよい`

と思い込んでいたその枠組みの境目の

発見かもしれない。

変化は、いつも内側の井戸から。

`月の表面を闊歩歩く勇者、その存在に`


2017年6月18日



いつか、私は`こうなっている`、

あなたは、`こうなっている`、

そんな希望や願望。

その`いつか`はきっと来る。

あなたがどんな人か、

私がどんな人間であるか。

`私は知っている、あなたは知っている、

本当は何も知らないとしても`


2017年6月22日



私たちは、`何か`を知っていると

思っている。

その`何か`に触ることもできるし、

その`何か`に名前をつけてみたりする。

それでも、深く深く突き詰めていくと、

どのくらい私たちは、`何か`を

知っているのかな?

`いつでも`始める`ことはできる`


2017年7月10日



私たちが、終わらせると決断しないかぎり、

`終わり`なんてないのかもしれない。

一瞬一瞬、素朴に`始まり`があるのみ。

`玉ねぎが踊りだす時`


2017年7月4日



`産まれもったもの`というのは、

私たちが、無意識のうちに、

集めてきた`情報`かな。

`経験`と呼べるかもしれないし、

`置かれた環境`、`文化的背景`ともいえるかも。

玉ねぎの一枚一枚の皮のように。

外側の環境と`交流`することで、

そうした`情報`が、自分自身の外側に

一つの`影響`という皮をはっていただけで、

自分自身という人間のコアを現してはいなかった、

と気づいたりする。

"The Chalice Well and the Prayer" 


万華鏡彫刻



`氷山の一角`という表現で現される、顕在意識と潜在意識との関係性ー小さな表面上に現れている上部と、その底部に隠されている潜在意識。私が興味を抱いたのは、その潜在意識の空間的な領域。私たちは、それぞれどんな形であれ、センサーのようなものを持っていて見知らぬ領域に踏み込んだ時に、このセンサーが`何か`を伝えてくれる、その空気のなかにある`何か`、たとえその見知らぬ領域に関する`情報`が私たちの中に存在しないとしても。

何も知らないまま、彼は、石のベンチに座り、祈りはじめた。

装飾の全くないその井戸の前で、眼を閉じ、祈りはじめた。

その場所には、私と私の息子以外誰もいなく、とても静かだった。

早朝の霧の中、とても静かだった。

その小さなプライベートな庭園の中で。まるで。。。。

私は空想にふけっていた。

ここでどんなことが起きていたりしたんだろう、と。

まさにこの場所で、どんな歴史が刻まれてきたのだろう、と。

彼(息子)は7歳だった。

2012年秋、the Chalice Well、グラストンベリー、イギリス。

このコンセプチュアルな万華鏡彫刻は、2013年度のモスクワ コンテンポラリー アート ヴィエンナーレにて展示されました。

`Clear As Ever?` 


2012年 モスクワ



このインターラクテイブ彫刻は、`水`と私たち、人間の関係性を

抽象的に表現しています。`水`は、私たちが生活をしていく上での大切な要素です。私たち人間の身体もまた、`水`で成り立っています。私たちは、水によって潤い、成長していきます。抽象的に深く掘り下げていくと、水は、`流れ`を象徴するものであり、顕在的にも潜在的にも`情報`を運び、エネルギー、生命的な源をある点からある点へ動かしていきます。水は、すべてに影響を与えています。例えば、池の表面のように環境的な影響のみならず、事象の原型、人間の根っこ部分的な部分にも影響を与えます。

人間性というのは、広大な海。

この広大な海は、数えきれない程の水のしずくの集合性。人間性というのも、また私たち個々の集合性。

私たち個々の人間というのは、共通項を持ちながらも1人として同じではなく、ユニークな存在であり、`個人`なのだ。1人として同じ人間はいない。

この私のインスタレーションでは、私たちと水の関係性をとおして、

そうした私たちの`個人`としての独創性とは何だろう、と疑問を投げかけています。

どこまで、自分自身という人間を見つめることができるんだろう?

何が私たちを`個人`として特徴づけているんだろう?

自分自身という人間に対して、どうやって投影することが可能でしょうか?

`Clear As Ever?` 詳細

万華鏡彫刻

`点から線` 01

万華鏡彫刻

`点から線`02

万華鏡彫刻

`陽のあたる場所`01

万華鏡彫刻

`陽のあたる場所`02

万華鏡彫刻

`個という迷宮`01

万華鏡彫刻

`個という迷宮`02

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